羊を逃がすということ

あなたの為の本が、きっと見付かる

書評

【書評】大阪|自分の生きる街のエコー【岸政彦・柴崎友香】

私は大阪生まれの大阪育ちだが、よく大阪っぽくないと言われる。 同じ関西人に、大阪出身であると言うと驚かれることが多い。喋りが標準語っぽい(あくまで標準語っぽいだけで、ただの大阪弁である)ところや、あまり気が強くないところが、そんなイメージを…

【書評】すべての、白いものたちの|失われなかったものの痛みと癒しについて【ハン・ガン】

自慢ではないが、私はミーハーな人間である。 この時期にハン・ガンさんの作品を読むというのは、当然ながらノーベル賞受賞の報せがあったからであり、まんまとそれに乗せられたのだ。 正直なところ、私はあまり韓国文学というものに明るくない。というより…

【書評】灯台へ|寄せては砕ける波のような視点【ヴァージニア・ウルフ】

私は印象派の絵画が好きである。特に敬愛しているのはルノワールで、実物を前にしたときは吸い込まれるような絵に感動を覚えたものだった。 印象派の特徴に、分割筆致と呼ばれるものがある。色は混ぜ合わせると黒に近付いていくが、隣同士に配置すると鮮やか…

【書評】すべての月、すべての年|時代を超えて愛すべき隣人【ルシア・ベルリン】

私にとって初めてのルシア・ベルリンは、数年前に読んだ「掃除婦のための手引書」だった。よく言えば簡素な、悪く言えば味気ないタイトルに惹かれた。短編集で、そのほとんどが一人称で書かれたものだった。 ルシア・ベルリンは明らかに生活を切り貼りしても…

【書評】成瀬は天下を取りにいく|正直なまま歩き出す勇気【宮島未奈】

滋賀には一度行ったことがある。 私の連れ合いの誕生日で、魚釣りに興味があるという彼女と一緒に釣り体験に足を運んだのだ。企画していたのは真言宗のお寺で、お坊さんと一緒に魚を釣るというなんだか罰当たりな気がしないでもない経験をした。ちなみに魚は…

【書評】ウォールデン 森の生活|人類の目的に対する問い掛け【ヘンリー・D・ソロー】

かつて友人が、ミニマリズムに目覚めたことがある。 デヴィッド・フィンチャーの「ファイト・クラブ」が好きで、資本主義に対する反骨精神を燃やしていた友人だった。彼は部屋の中の家具の全てを捨て去り、身に着ける衣服も最小限に絞ったと言った。そして私…

【書評】平熱のまま、この世界に熱狂したい|弱き者の握る、櫂の力強さ【宮崎智之】

F・スコット・フィッツジェラルドは失われた世代を代表する黄金の作家だった。 彼の代表作である「グレート・ギャツビー」は世代を超えて愛され、何度も映画化されている。その名はある種のダンディズムの象徴とされ、日本では男性整髪料の名として広く知ら…

【書評】決定版カフカ短編集|外的な不条理と感傷の不在について【フランツ・カフカ】

初めて読んだカフカは、新潮社から出ている「変身」だった。世の中の多くの人がそうではないだろうか? あれは高校生のときで、私は軽音楽部に所属していた。ロックバンドという響きに憧れ、大きな声で叫ばれた言葉こそ真実だと思い込んでいた。そこで組んで…

【書評】「レーエンデ国物語」ファンタジーが世界を創造する【多崎礼】

もうかれこれ十年以上前になるが、私はファンタジー小説というものを読み漁っていた。 始まりは確か、イ・ヨンドの「ドラゴンラージャ」だった。ドラゴンあり、魔法あり、お喋りな魔剣や女盗賊や心優しいエルフあり、ファンタジーの魅力をみっちりと詰め込ん…

【書評】「逃げ上手の若君」を見る、そして「太平記」を読む

10月に入り、漸く秋らしい気候になってきた。季節を感じさせるものは、何も気温や年間行事だけではない。夏アニメの終わりもまた、世の移り変わりを示す鏡である。 今年の夏、私が最も楽しみにしていたアニメは「逃げ上手の若君」だった。原作は松井優征さん…

【書評】『「性格が悪い」とはどういうことか――ダークサイドの心理学』【小塩真司】

はてさて困ったものだ。 最近、私が勤める会社の人事異動があり、パワハラ気質の上司がやって来てしまった。高圧的で労働環境を悪くするが、一部お気に入りからはカルト的人気があり、数字も出している――つまるところギリギリのラインを攻める人物であり、明…

【書評】「愛するということ」、そして本当の自分を生きるということ【エーリッヒ・フロム】

愛というのは、極めて扱い難い観念である。 その原因は、主にハリウッドとディズニーの所為であると、私は思っている。そこから派生する形で巷に広がった様々なフィクションも、残念ながらその傾向に拍車をかけたと言わざるを得ない。 そうは言っても、私は…

【書評】中秋の名月も過ぎたが、「ムーンシャイン」【円城塔】

円城塔という作家に思いをはせるとき、真っ先に連想するのは「天才」の二文字である。 思えば、私が円城塔を知ることとなった切っ掛けは、伊藤計劃というSF作家にあった。「虐殺器官」、「ハーモニー」、その他いくつかの優れた作品と「屍者の帝国」という…

【書評】「理不尽な進化」の先にあるのは、人間か大腸菌か【吉川浩満】

「人間と大腸菌、どちらが進化した生き物だと思う?」 大学の頃、留学生の友人にこんなことを尋ねられた。当時の私は相手がそう答えさせようとしているのだなと勘繰りながらも、「人間」と答えた。私はてっきり「残念、大腸菌です」という答えが返ってくるの…

【書評】「ツミデミック」とパンデミックの受容について【一穂ミチ】

新型コロナウィルスとして世間を騒がせたCOVID-19は、初めは中国で発生した新型肺炎という、所謂対岸の火事としてネットニュースの片隅に掲載され、それから瞬く間に世界を覆いつくした。 当時の私は、大学時代の下宿をそのまま拠点とし、飲食業でアルバイト…

【書評】「百年の孤独」は如何にして孤独であったか【ガルシア=マルケス】

私と弟がまだ小さかった頃、近所の田んぼでカエルを捕ったことがある。 どうしてそんなことになったのかは覚えていないけれど、とにかく捕って捕って捕りまくった。きっと子供心に狩猟本能をそそられたのだろう。だとしても、帰る間際に逃がしてやれば良いも…

【書評】月ぬ走いや、馬ぬ走い【豊永浩平】

方言は、一つの武器である。 それは標準語によるテキストが溢れかえり、ともすればあらゆる表現が均一化されるなかで、ある種の本音を担保するものとして機能するからである。しかしこれをコントロールするのは難しい。 私は大阪出身なので、普段は大阪弁を…

【書評】バリ山行【松永K三蔵】

大学の頃、お世話になった教授が登山好きだった。 何かとゼミでも登山が企画され、私はそれに付き合って(半ば強制的に)山に登る経験を得た。私は理系の学部に所属していて、実験室では様々な器具を扱った。実験中にそれらの器具を破損してしまった場合、う…

【書評】ザリガニの鳴くところ【ディーリア・オーエンズ】

話題になった頃に買ったものの、読むタイミングを逃し続けていた本である。先日Netflixで映画化作品の一部を見掛け、読んでみようという気になった。厚めの本であるが、読み始めるとぐんぐん吸い込まれるようにページが進んだ。 帯に書かれた販促用の文言は…

【書評】きりぎりす【太宰治】

キリギリスが怖かった。 虫全般苦手であるが、大半に抱く感情は恐怖ではなく不快感である。ところが、キリギリスという昆虫は怖い。特にその顔が怖いのだ。 その顔、まずは面長である。おたふく顔のような受け口でありながら、極端に小さな目がアンバランス…

【書評】なめらかな社会とその敵【鈴木健】

書店で本を買い求めるとき、「ジャケ買い」ならぬ「表紙買い」するのは、本読みとしての密かな楽しみである。前情報に踊らされず、パッとその場のインスピレーションで本を買う。結果として外れを引く経験を何度もしたが、不思議なもので慣れてくると自分に…

【書評】カフカ断片集【カフカ】

フランツ・カフカについて 私が初めてフランツ・カフカに触れたのは、高校時代の話である。当時軽音楽部に所属していた私は、自分のバンドメンバーのベース担当がカフカに似ていたので、興味を持ってかの「変身」に眼を通した。 もっとも、それまでもカフカ…

【書評】街とその不確かな壁【村上春樹】

村上春樹について その昔、シェイクスピアのある戯曲を読んだ時、そこに奇妙な違和感があることに気が付いた。前半と後半で、ある登場人物の立ち回りが違い過ぎたのだ。それも特に何の説明もなく。 恐らくは、シナリオの都合上その役割を変更せざるを得なか…