高野川と鴨川に挟まれた三角地帯に位置する下鴨神社。京都に由緒正しき神社は山ほどあれど、中でも下鴨神社は平安以前から存在する屈指の大神社である。縁結びを始め様々な御神徳を得るべく、年間多くの参拝客が訪れるが、盆の時期に古本市が開かれていることはあまり知られていない……一部界隈を除いては。
という訳で、下鴨納涼古本まつりである。今年で37回を迎えるそうで、知られていないなどというのはあまりにも失礼な物言いである。私がこの古本まつりに参加したのは二度目のことだ。一度目はコロナよりも前の出来事で、そのとき購入したモーパッサンの絶版本は封を切られることがないまま箪笥の肥やしと化している。
下鴨神社へは京阪の出町柳から10分程歩いた。昔、アルバイトの関係でよく出町柳付近に出向いていた。出町柳から京都までは鴨川が一直線に伸びていて、散歩道としては丁度よかったのだ。しかし今となっては酷暑の中を歩き回る気力もなく、最寄り駅からすぐさま糺ノ森の木陰へと飛び込んだ。
道中、古本市の幟があった。団扇と古本を持った人々と擦れ違う。屋外での本選びを終えた後なのか、吹き出る汗に難儀している様子だった。
さて、この古本市であるが、森見登美彦作品に触れたことのある方なら、馴染み深いのではないだろうか? もしこの記事の冒頭に書かれた引用文が、CV浅沼晋太郎さんで再生されたのなら正しい(一部アレンジしてはあるが)。「四畳半神話大系」で主人公が、ヒロインの黒髪の乙女こと明石さんに恋をしたのが、まさしくこの場所だからである。
ちなみに、星野源が演じた「夜は短し恋せよ乙女」でも、この古本市が登場する。「四畳半」に出てくる小津そっくりの古本の神が、のべつ幕なしに蘊蓄を垂れるシーンが印象深い。
「四畳半」も「夜は短し」も両者とも森見作品なのだから、甲乙つけるというのも変な話なのだろうが、私にとって思い出深いのは「四畳半」の方である。それはうだつの上がらない学生時代に見たという経験が、作品に特別な意味を上乗せしているのかもしれない。この作品は、休火山の如き鬱屈した青春時代に深く作用するようである。
「四畳半神話大系」はもともと小説である。だが私は敢えてアニメの方を推したい。勿論、原作小説が優れているのは言うまでもないが、映像作品はそれとは別の角度に素晴らしい出来栄えなのだ。
監督は天才・湯浅正明。「夜明けを告げるルーの歌」や「映像研には手を出すな!」で見られるクラシカルなカートゥン要素が如何なく発揮されている。しかも言い回しが独特かつ軽妙で、嫌煙さえしなければ愛おしささえ感じる程である。
キャラデザはアジアンカンフージェネレーション(以下アジカン)のジャケットでお馴染みの中村佑介氏が担当し、OPはそのままアジカンである。ちなみにEDはやくしまるえつこが歌ってる。アジカンにやくしまるえつこなのだから、面白くない筈がないのだ。
シナリオは原作準拠だが、盛り込まれたオリジナル要素は少なくない。冴えない新入生である私は薔薇色のキャンパスライフを目指してサークルに加入する。しかしなんやかんやで思い通りにならず、別のサークルに入った自分を夢想するのである。それがパラレルなエピソードとなって次週に持ち越される。所謂ループものに近い構成である。
SFチックな要素はあるものの、専門的な知識など不要なので、肩肘張らずに見ることが出来る。そして私はこの映像作品を見る度に、下鴨納涼古本まつりに行かなければならないという気になるのだ。もしかするとそこには黒髪の乙女がいるかもしれない。いたらどうするという訳ではないが、是非いてほしい――などと思いながら眼を皿にしてみたのだが、暑さ故なのか目立ったのはへそ出しルックの今風女子である。時代は令和、文学少女もへそくらい出す。
閑話休題、それで古本市の話。専門的知識もないミーハーな私は、背どり男爵よろしく高価な本をさっと抜く訳にもいかないので、欲しい本をごっそりと買い集めた。以下、戦利品である。
一冊300円、五冊で800円。集めるのが大変だと思っていた長編文庫が、ほいほいと手の中に積み重なってしまった。私がこの古本市に行ったのは出勤前だったので、職場に30冊近く本を持っていく羽目になった。嬉しい悲鳴である。
けれど心残りが二つある。一つはスケジュールが合わず、仕事前の短い時間でしかその古本市に参加できなかったこと。しかもその日は京阪電車が遅延していて、行くのに多大な労力が必要だった。結局会場には二時間ほどしか滞在できなかった。それが一つ目の心残り。
そして二つ目は、四畳半の主人公がラムネを飲んでいたにも関わらず、私は欲に負けてノンアルビールを飲んでしまったことである。どうせならちゃんと忠実にラムネを飲めば良かったのに……それは来年に持ち越しである。しかし出勤前のノンアルビールはほのかに背徳感があって、それはそれで悪くない味わいだった。