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【書評】「ツミデミック」とパンデミックの受容について【一穂ミチ】

 

 新型コロナウィルスとして世間を騒がせたCOVID-19は、初めは中国で発生した新型肺炎という、所謂対岸の火事としてネットニュースの片隅に掲載され、それから瞬く間に世界を覆いつくした。

 

 当時の私は、大学時代の下宿をそのまま拠点とし、飲食業でアルバイトとして生計を立てていた。夢を追うと言えば格好いいけれど、ただのフリーターである。それでもバイトをしていれば生活は成り立ったし、生活が成り立つ以上それを改める必要性も(短期的な視点で見れば)感じていなかった。

 

 だがコロナはあっという間にそんな日々をぶち壊してしまった。店舗の営業時間が縮小し、外出自粛も伴って売り上げが下がった。そうなるとアルバイトの勤務時間が減り、つまるところ私の生活資金が減った。

 

 そのとき私は気付いたのだ。アルバイトや派遣社員というのは、社会の安全弁でしかないのだと。不景気になれば人件費削減の対象となり、景気が良いときは正社員以下の賃金で買いたたかれる。気付けば私の手取りは13万になっていた。

 

 家賃と携帯電話代を払い、娯楽は最小限に切り詰めた。電気代を上げないよう極力冷暖房の類は使わなかった。食事は店内の廃棄食品を店長に融通してもらい、夕食は箱で買ったアイスを毎日一本ずつ消費して凌いだ。

 

 今にして思えば、なかなかに大変な生活だった。お先真っ暗で、首相官邸へのご意見募集に思いのたけをぶつけた記憶さえある。その後、私が就職したのも、それらの経験にこりたというところが大きい。

 

「ツミデミック」は、そんなコロナ禍の出来事を扱った短編集である。特徴的なのが、コロナそのものの被害を扱ったものではないというところだろう。コロナを取り巻く社会の状況、人間からの被害が本書のテーマである。その要素はタイトルにも表れている。「罪+パンデミック」で「ツミデミック」。ウィルスでも自然災害でもない、罪は常に人が犯すものなのだから。

 

 

  • 粗筋

 大学を中退し、夜の街で客引きのバイトをしている優斗。ある日、バイト中に話しかけてきた女は、中学時代に死んだはずの同級生の名を名乗った。過去の記憶と目の前の女の話に戸惑う優斗は――「違う羽の鳥」

調理師の職を失った恭一は、家に籠もりがち。ある日、小一の息子・隼が遊びから帰ってくると、聖徳太子の描かれた旧一万円札を持っていた。近隣に住む老人からもらったという。翌日、恭一は得意の澄まし汁を作って老人宅を訪れると――「特別縁故者

渦中の人間の有様を描き取った、心震える全6話。

 

  • 感想

 コロナ禍にあるとき、飲食業で勤めていた私が経験したのは、歴の長いパートさんとの労働時間の奪い合いだった。発言権があるパートのベテランが幅を利かし、就業時間を終えても残業代目当てに居座ろうとする。わざと仕事にゆっくりと手を掛け、それを指摘されると逆上する。

 

 嫌な経験だった。人間の本性みたいなものが垣間見えて、それがかなり醜く映った。本書を読んでいて思い出したのは、まさしくそういう光景だった。それと同時に、不思議な懐かしさが込み上げてきた。それらは私にとって過去になってしまったのだ。そこで目にした――今にして思えばあまりに不寛容な――社会と共に。

 

 念のために断っておくと、コロナは決して消えてなくなった訳ではない。今も医療従事者の方々は苦労なさっていると聞くし、そういう実情がある前で間違っても終わったものとして扱ってはならないのだろう。とは言え、5類感染症移行後その警戒度は当時のそれよりもかなり穏やかなものになったと言わざるを得ない。

 

 本書で特徴的なのは、その当時の緊迫感と、現在のやや緩んだ世情とが、絶妙なバランスで扱われているところである。短編の執筆時期も影響しているのだろうが、例えば2021年に掲載された「違う羽の鳥」は繁華街の客引きという主人公も相俟って感染症の影響が顕著に表れているのに対し、2023年の「さざなみドライブ」は当時の異常性を振り返るような内容になっている。

 

 思えば、私もマスクをしないようになってすっかり慣れてしまった。まだコロナ禍にあった頃は、「マスクをしていない人=ちょっと危ない人」くらいの警戒心を持っていたと言うのに。生活の慣れは、同時にそこにあった罪の意識の鈍麻へと直結する。感染初期にあった芸能人の宴会騒動(とそれに伴うバッシング)、アルコールやマスクを買い求めようと薬局に通い詰めたあれこれ、その醜さを靄のように覆い隠してしまう。

 

 私もまた、パーテーションを破壊した客と揉めたことがあった。「邪魔だ!」と怒鳴る客に対し、感染症対策という名目を必殺の名刀の如く振り翳していた。今にして振り返ると、簡単に同調できない自分がいるのが事実だった。私のその正しさは、虎の威を借る如く世間から引っ張り出して来たものに過ぎなかったのだから。程度の差こそあれ、それもまたパンデミックのもたらした一つの不寛容だったのかもしれない。

 

 とはいえ、そんなコロナを題材としていても、それぞれの短編はポップである。ホップステップでさらさらと読んで、ジャンプで暗がりに飛び込める。そうした容易さが、かえって本書の影を色濃くするようである。

 コロナにまだ片足を残す現在だからこそ、この本は読まれるべきなのだろう。

 

ありったけのケチャップで作ったスパゲッティです