やっと秋らしくなってきたと思ったら、もう目の前には冬の気配が迫っている。最近の異常気象の所為なのか、それとも私が歳を取っただけなのか、近頃は秋というものへの感度が低い。暑い夏が終わると、気付けば寒い冬という感覚だ。昔の歌集なんかを読んでいると、自然を中心においた生活習慣が身に染みて、少々羨ましく感じるこの頃である。しかし当時は当時でやはり何かと苦労はあっただろうから、結局のところ私は現代に生まれ、現代で生きていくしかないのだと、我が身を再確認するばかりである。
月ベストコーナーでは、該当月に読んだ本の中で最も読んでほしい一冊を取り上げ、そこから派生した作品を紹介する。選書の根拠は全くもって独断である。これを書いている今、自分の10月に上げた記事を振り返り、「こんな本を読んだなあ」「こんなこともあったなあ」と思い返しながら選んでいる。良し悪しを評価しているのではなく、自分にマッチしたものを取り上げているので、ゆるりと読んでいただければなと思う。
早速本題だが、10月ベスト本は、宮崎智之さんの「平熱のまま、この世界に熱狂したい」である。
理由は幾つかあるが、最も大きいのは、その縷々とした語り口調である。押しつけがましくなくさらりとしていて、心地良さを感じる。強さではなく弱さに寄り添った文章と、肩肘張らずに読み返せるエッセイという形式が、今の気持ちにしっくりと来た。こちらは個別記事を書いてますので、もしご興味のある方は参照されたい。
【書評】平熱のまま、この世界に熱狂したい|弱き者の握る、櫂の力強さ【宮崎智之】 - 羊を逃がすということ
「平熱のまま、この世界に熱狂したい」を読み終えた後、私が読み返したくなった本であるが……エッセイ繋がりで、「村上朝日堂」なんてどうだろうか? 言わずと知れた村上春樹さんの書くエッセイ集である。安西水丸さんの味のあるイラストともに、村上春樹が延々とぶーたれているのが非常に面白い。
そう言えば最近、「X」にて村上春樹の性描写に対する批判が洪水の如く流れていた。別に無理に好きになる必要などないのだけれど、そういう方はちょっと角度を変えてエッセイから攻めてみるのはどうだろう。ラブ・ホテルに「終わると虚しいでしょう?」とか「だいたいいつも同じではありませんか?」なんて標語を張り出したいとのたまう作家の性描写である。個人的にはどんなものが出てくるのかと非常に興味をそそられる。
二冊目はどうしようか迷ったが、「フィッツジェラルド短編集」に決めた。個別記事でもフィッツジェラルドに言及したので、いささか重複感が否めないのだけれど、弱さに立脚した作家として取り上げずにはいられなかった。
素晴らしい作品は沢山あるのだが、中でも特に印象深いのが、「金持ちの御曹司」、「乗継ぎのための三時間」、「泳ぐ人たち」である。フィッツジェラルドのグラマラスでありながらどこか挙動不審な文章と、それらを俯瞰したような冷静さが伺える。「グレート・ギャッツビー」は優れた作品だが、エッセンスの凝縮された短編もまたフィッツジェラルドの得意分野である。読まれたことのない方は、是非読んでいただきたい。
さて、紙面があまっているので、ここからは個人的な話。11月に入ると、年の瀬までもう少しという感じである。今年一年は激動の年で、彼女にプロポーズをしたり、異動があったり、ブログを始めたり、もうてんやわんやだった。
正直なところ、この激動に身を揉まれ、しんどいと感じる時間も少なくなかった。会社のストレスチェックでは高ストレス状態であるとの表示が現れ、産業医への面談を推奨されたが、その過程が人事部に通達されるということもあって、私は忌避している。というのも、私は来年の夏ごろに転職を決意しているからだ。経歴に傷をつけてしまうというのは避けたいところである(これが功を奏するかは分からないのだけれど)。
この頃、人生の意味を考える。私は大学を出ているが、決して今の仕事に就く為に進学した訳ではない。しかし大学というのは本当に素晴らしいところで、そこに通えた経験は確かに私の中で息づいている。
では私は何の為に大学まで行ったのだろうか? そう、私は勉強したかったのだ。世の中のことを知りたい、そういう純粋な動機で足を運んだのだ。
確かに、生きていくにはお金が必要である。しかし人生は会社の為にある訳ではない。私は自分の人生の手綱を握るべきなのだ。そして自分の為に、人生を使うべきなのである。
では話を冒頭に戻すとして、私の生きる目的とはなんだろう? 私は本が好きなのだ。本と呼ばれるものがもっと広く市民権を得るべきだと思うし、それを生み出す作家や出版社、関連企業諸々が幸福であるべきだと思う。微力ながら、私は本に纏わる社会の力になりたい。このブログは、そんな願いの小さな一歩目である。
きっと私は心が強い方ではない。繊細で傷付きやすく、我ながらそんな自分が嫌になるときもある。だが今はそんな自分の繊細さに感謝している。もしそうでなかったら、私にはいま見えているほどに世の中の機微を捉えることが出来なかったからだ。それが私の「弱さ」であり「強さ」である。
「平熱のまま、この世界に熱狂したい」というタイトルは素敵だ。生活の尊さを感じることが出来る。そして人は、決して死体のように冷たい肌をしている訳ではない。人は仄かに熱を帯びる生き物なのだ。私はそれを熱源に、歩き続けるのである。