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【雑記】グッドバイ|故郷紀行

 

 伯父の葬式が終わった。

 向かう道中、サカナクションの「グッドバイ」を聴いていた。最近、YouTubeでこの曲に関するご本人の解説があって興味深かった。マジョリティに対する別れの曲なのだそうだ。剥き出しの感受性のまま生きていくのは、苦しいことなのだろう。そういうことに真摯に向き合うこの曲は、とても誠実で美しい歌だと思った。なんだか無性に聴きたくなるときがあって、それが伯父の葬式までの道のりだった。

 

 そう言えば、伯父という漢字は「伯父」と「叔父」の二種類がある。どうやら母親(或いは父親)の兄に当たるのか、それとも弟なのかで使い分けるらしい。伯父は母の兄であるから、伯父である。これまでの記事では叔父と書いてしまったが、今更訂正するのも面倒なので、このまま置いておこうと思う。

 

 大変な二日間だった。と言っても、私が何かをした訳ではない。職場のシフトを調整したのは上司であるし、喪主は母だし、私はただ言われるがままに式場に赴き、促されるまま合掌していただけである。

 

 家族葬ということだったが、通夜には伯父の職場の人も駆け付けてくれて、ほどほどに賑やかになった。お坊さんはかつて祖父の葬式も対応してくれた方で、折悪く風邪で咽喉が嗄れていた。何度も咳き込み、アイナ・ジ・エンドくらいインパクトのあるハスキーボイスで読経されていた。

 背広の写真がない伯父の遺影は、家族写真からの合成である。式場の係りの方は浄土宗と浄土真宗を間違え、各々が各々の作法で焼香し、私は会場を勘違いして無意味なタクシー代3500円を支払った。

 とは言えお通夜はしっかりお通夜であり、葬式はしっかり葬式であった。伯父は亡くなったのだと、じんわりと納得が染み入って来た。

 

 通夜の晩、夕食は近くのファミレスでとった。祖母は私を見て、親戚の誰かの名前を読んだり、弟の名前を呼んだりした。どうやら慣れない場所で大勢の人と会った所為で、認知能力のキャパシティを超えてしまったらしい。認知症の進行しつつある祖母は、現実と過去を行ったり来たりしている。私は何度も名前を名乗り、祖母は何度も私の前髪が長過ぎると言った。

 

 通夜の晩はあまり眠れなかった。翌朝が早かったので、いつもより早めにベッドに入ったのだが、これがいけなかった。二時間ほどで目覚めて、それ以降ずっとうつらうつらしていた。夢のような、現実のような時間を行き来する。もしかするとこれが祖母の生きる時間なのかもしれない。そんなことを、夢か、或いは現実の中でぼんやりと思った。

 

 

 葬式からは弟も参列した。通夜は都合が合わなかったようだ。新品のスーツに借り物の数珠、口には顎鬚を蓄えている。祖母と母、父、弟。関西で暮らす、私の家族である。再びお坊さんの読経があり、最後の別れが行われた。棺桶に眠る伯父の身体に花を添え、好物のコーラで唇を濡らした。母が伯父の足に触れた。母はマッサージの仕事をしていて、伯父の足を揉んだこともあった。硬直した足の筋肉は、母にしか分からない形でその死を伝えたらしかった。また母は泣いていた。

 

 何よりも辛かったのは、祖母が伯父に声を掛けた場面である。そのとき祖母の焦点は明確に現実に合っていて、そして祖母の声は震えていた。かつて祖母の涙する場面を見たのは、祖父が他界したそのときだけだった。旦那と息子を失い、多くいた姉妹も先に逝ってしまった。長く生きた分だけ、祖母は多くの傷を負っている。それでも健やかに生きる祖母は、きっと誰よりも強いのだと思う。

 天国でお父さんと一緒に待っていてちょうだい、と祖母は言う。家族全員が、少しずつ死に近づきつつある。お坊さんが枯れた声で南無阿弥陀仏と唱え、皆で棺桶の蓋を閉めた。

 

 我が家は浄土真宗である。末法の世ではいくら修行しても実を結ばないと考え、阿弥陀如来の請願を頼りに、他力本願での成仏を目指す。だから祖母が言う天国は正しくない。正確には、伯父は浄土へと向かったのだ。その穢れなき場所で修業し、伯父はやがて仏となるのである。

 

 昔は意味も分からず聞き流していたお経だったが、「歎異抄」を読んだからか、お坊さんのお経の内容を一部聞き取ることが出来た。へりくだり、全てを阿弥陀様に委ねるというのは、何処となくキリスト教に通ずるところがある。何でも、阿弥陀イエス・キリストと考える研究者もいらっしゃるとか。私は素人なので、本当のところどうなのかは分からないのだけれど。

 

 遺体を火葬している間、昨晩と同じファミレスに戻り、昼食を済ませた。家族写真を撮ったが、父は映らなかった。私は父と不仲である。母とも不仲であるが、もとを正せばそこには夫婦間の不和があったように思える。結局、今回の通夜・葬式を通して、父とはほとんど話をしなかった。私と父は、義務の上で家族をやっているだけである。父と母が義務の上での家族であるように。

 

 私は父が母の名を呼ぶところを見たことがない。いつも父は、母を「おい」と呼び付ける。母はそんな父に怯え、委縮していた。それと反比例するように、母は家族というものの理想に縋り付くようになった。家族愛を説き、夫婦や息子との関係を不自然なまままとめようとした。もしかするとそれは、上手くいっていない家族関係をなんとか取りまとめようとした、母なりの努力だったのかもしれない。幼少期から感じていたその家族への違和感は、今も拭えずに残っている。

 

 家族一同揃っても、私たちは真に打ち解けることが出来なかった。きっと私の疲れの大半はこれが原因だろう。ただ私は祖母を悲しませたくないあまりに、関係を断ち切ることも出来ず、言葉少なに家族の中に自分の居場所を残している。私はきっと母と同じ間違いをしているのだ。不自然なまま、息子としての役割を演じ続けている。それが正しいことなのか、それとも間違っているのか、未だに答えは出せないままだ。

 

 二時間の後、伯父の身体はすっかりと焼き尽くされ、すかすかの骨になってしまった。色違いの箸でそれを骨壺に収め、後は解散となった。お昼時で、淡いブルーの空が薄く刷毛で伸ばしたように広がっている。すっきりした天気だった。とにかくやるべきことはやったのだ。後は月並みに、時間が解決してくれる問題に違いない。

 

 馬鹿が。そうやって先延ばしにし続けて、結局何もかもを放り出してしまったんじゃないか。ぐるぐると、眼の前で現実が回り出す。現実ほど人間の精神を挫くものはない。そして時間だけが、着実に進み続けている。

 昨日のファミレスでの会話を思い出す。混乱した祖母は、私に向かって他ならない私の話をしていた。「あの子は賢いのに、勿体ないことしたなあ」。

 

 ふとそのとき、私は自分の肩の力が抜けるのを感じた。私は私を明け渡すのだ。それは祈りであり、他力である。ポケットの中の数珠を弄びながら、声に出さず唱えた。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏