羊を逃がすということ

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【月ベスト】11月に読んだベスト本|すべての、白いものたちの

 

 ご無沙汰しております。最近、ちょっと身辺がばたばたしておりまして、更新が滞っておりました。漸く一息つくことが出来たので、ブログを再開いたします。

 

 さて、該当月のベスト本を紹介するコーナーである、「月ベスト」である。気持ちだけは月末に仕上げるつもりでいるのだけれど、何かとばたばたしていつも翌月まで持ち越してしまう。改めていきたいところである。

 

 早速、11月のベスト本であるが、ハン・ガンさんの「すべての、白いものたちの」である。ヴァージニア・ウルフの「灯台へ」と迷ったが、さらりとした文体が今の自分にしっくり来たので、今回はこちらを推させていただきたい。

 

 何より、ハン・ガンさんの小説というのは、私にとって小説の世界を新しい領域に拡張する効果を持っていた。これまで私は小説とは、テーマがあり、プロットがあり、ストーリーがあり、その整合性こそが魅力なのだと思っていた。だが「すべての、白いものたちの」は、言語的な建築の要素が薄く、さながら一筆で描いた墨絵の如しである。情報量の少なさを補うのは詩情であり、端正な筆致は小説と詩歌の境界線を絶妙なバランスで取り持っている。

 

 こういう散文詩のような小説を書くというのは、勇気がいることではないかと思う。何故ならしっかりとした構成のある話なら、少なくともその枠組みをもとに秩序だった物語を組み立てることが出来るからだ。だが「すべての、白いものたちの」においてそれは希薄で、何処を目指すでもなく霧の中を彷徨うようである。読んでいる側も、きっと書いている側にもその不安はあることだろう。

 

「すべての……」はその霧を抜けるカタルシスを描いた物語ではない。その主題は、むしろ霧そのものを描くことにあるのではないかとさえ思う。それは近代文学というよりも古典のようで、物語るという行為の不完全な根源を探り出しているかのようだ。そういう意味で、ハン・ガンさんの「すべての、白いものたちの」にあるのは、決して軽々しく消費される「新しさ」ではないのだ。現代において何を語るのか、それは作家の視座に由来する新しさなのである。

 

 さて、この「月ベスト」では、当該の本を紹介した後で是非読んでほしい本も取り上げている。しかしハン・ガンさんに関しては、少々それも難しい。やはり上述したように、「すべての、白いものたちの」が私にとって未知の本であるからだろう。取り敢えずここでは、「すべての……」の個別記事でも取り上げた、宮本輝さんの「蛍川・泥の河」を紹介したい。

 

 

「蛍川・泥の河」もまた、端正な小説である。こちらはハン・ガンさんのような詩文の要素は含まず、淡々と傷口を描写する力強さがある。その力強さとは、砂漠のように均質で有無を言わさぬ力である。「すべての……」が触れればたちまち砕けてしまいそうな儚さを持つのとは対照的である。

 

 一見全く真逆のこの小説が、私の中で「すべての……」と重なるのは、偏にその視点のお陰だろう。「すべての、白いものたちの」も「蛍川・泥の河」も、肌の感覚に対して鋭敏である。触れられるもの、感じ取れるものから、小説が浮かび上がってくる。ストーリーありきの物語とは異なり、私はそこに並ぶ言葉に身体を感じるのである。

 物質感とでも言うべきだろうか。例えば、「泥の河」でお米に手を差し入れるシーンがある。そうすると温かいのだと登場人物の一人が言う。炊いてもいない米の温かさ、わびしさ、喜び。そうした微かな感情の波が、「すべての……」にも「蛍川・泥の河」にも含まれているのである。

 

 ここからは雑談、近況を交えたご報告。

 11月は色々とあった。伯父が他界し、ばたばたしている間に友人の結婚式やなんやらがあり、まとまった時間を作るのが難しかった。そして気付けば12月である。

 

 以前も別の記事で書いたが、私は来年転職をしようと考えている。資格勉強などもろもろ含めると、そろそろ動き始めなければならない。ブログの更新は続けるが、頻度はやむ終えず落とさなければならないだろう。折角読んで下さる方々がいるというのに、申し訳ない。

 

 今後は、週一くらいでの更新を目指す。『X』も毎日という訳にはいかないだろうけれど、引き続き投稿しようと思う。皆様と豊かな読書ライフが築ければ幸いである。今後ともよろしくお願いします。