年の瀬が近付くと、やることがどんどんと増えていき、気付けば忙殺の日々を過ごしている……と思いきや、やっていることは転職のための勉強であったり、忘年会の徹夜カラオケであったり、実はほどほどに暇なのかもしれない。時間を無駄にすることに関しては一家言ある。そうこうしていくうちに休日が暮れ、また明日からの仕事の日々が始まろうとしている。
私は飲食系の仕事をしているが、専ら店舗管理が主で、料理の腕前は一般人である。恥ずかしながら、全くグルメではない。そもそも料理を作ること自体好きではない。出来合いがあれば喜んで飛びつくし、インスタント麺でも十分満足することが出来る。
何より私が嫌いなのは、空腹になってからご飯を作るという一見当たり前のように見えるジレンマだ。お腹が減れば、ご飯を作る。普通はそうだ。だが私の認識は違う。お腹が減ったら、食べたいのだ。
そんなことを書けば、「だったらお腹が減る前から作り始めればいい」という声が聞こえてきそうだが、そうはいかないのである。お腹が減っていないと、料理を作るのが面倒くさいのだ。だってお腹が減っていないのだから(つまりその時点では動機がないのだから)。
ここに覆し難いジレンマがある。必要な時には準備に手間がかかり、そうでないときにはモチベーションが上がらない。これは少々学校の勉強に似ている。そして私は、テスト前日に徹夜で仕上げるタイプだった。今になって慌てて資格の勉強をしている自分にも、ぎくりと来る事実である。
さて、そんな私が手に取ったのは、「ショートケーキは背中から」。話題になっていたというのと、その不自然なタイトルが引っ掛かって購入したのだけれど、これが今の自分にはびっくりするくらいしっくり来てしまった。
それと同時に、自分の中にある料理に対する扉が、大きな軋みを上げて開くのを目の当たりにするかのようだった。こういうジャケ買いでしか味わえない経験があるからこそ、本屋巡りはやめられないですね。
- あらすじ
「きっと私は世界を理解したい。そのための手段が、食べものだったのだ」
実家過ぎる店からいつかは訪れたい名店まで、人より貪欲に食べ、言葉を探し続けた20年。その末に見た〈食とは何か〉の(今のところの)結論がここにあり! 著者が自ら課した100本ノック=書き下ろし「ごはん100点ノート」を大収録。
- 書評
こいつはたまげた本です。何て言ったって料理の感想だけで一冊書けてしまうんですから。
料理を扱う書籍は、本屋さんを巡ればいくらでもある。しかしそういう本の目的は、レストランの紹介であったり、或いは家庭でもできるプロの技!というような技巧的な情報であったりと、明確に用途がはっきりしている。別にそれが悪いというのではないのだけれど、ただ食べる為に食べる(そしてそれを記録する)というのとは、やはりどこか違うのだと思う。
しかしこの「ショートケーキは背中から」は明らかに食べることそのものを記録する為に書かれている。勿論、そこで紹介されたレストランやスイーツなんかを食べてほしいという意図もあるのかもしれないが、それにしてはそこに含まれる雑音的な背景が濃厚である。
これは食という行為そのものの記録なのだ。そういう意味では、この本は食べログの口コミのようなものではなく、言ってしまえば喫茶のドキュメンタリーであり、溢れ出す食欲へのラブレターである。
無論、グルメエッセイの類としても楽しめること間違いないが、そこにはお堅い蘊蓄のようなものは存在しない。何せ取り上げるのはレストランの食事ばかりではなく、コンビニの冷凍食品やお菓子なんかも含まれている。
「食べる」という行為の通俗性を否定することなく、何なら正面から受け入れた上で肯定する。例えば、作中には疲れ切って身体が石になったという表現が登場する。そんな日に食べる冷凍食品の「鍋焼きうどん」は、さぞ美味しいことだろう。読んでいて腹が鳴ることしばしばだった。
「ショートケーキは背中から」を眼にしたとき、私は初め、頭の後ろに口のある妖怪の話を思い出した。調べたところによると、二口女という妖怪らしく、食べ物の摂取を後頭部から行うらしい。「背中から」というからには、ケーキをこの二口女よろしく後ろ手に回して、むしゃむしゃやったりするのかしらんと思っていたけれど、当然ながらそんなことはなかった。
この背中というのは、三角に切ったショートケーキの先端ではなく弧の側から食べるという意味だ。尖った先を頭と見立てた背中である。その独特な理屈も面白い。ショートケーキは一口目が美味しいが、先っぽから食べていると後半に差し掛かって生クリームが増え、胃もたれしてしまう。だから背中側から食べるべきだという(そうすればフォークが切り崩すにつれ自然とケーキが程よく小さくなっていく)。
なるほど、そんな着眼点はなかった。同時に、そんな珍妙なことを考えるだなんて、この作者は天才ではないかと思った。何たるユーモア、何たる表現力。まんまと一杯食わされた気分である。
いやいや、違うのですよ。この本はまんまを一杯食う本なのです。あくなき食への探求が詰まった本なのですから。あ、上手くなかったですよね。でもこの本は上手い(美味い)ので、是非見掛けたら手に取ってみてくださいね。