羊を逃がすということ

今日ある本が明日もあるように

【書評】夢みる石 石と人のふしぎな物語 | 石の時間に耳を澄ます【徳井いつこ】

 

 最近、石に興味がある。例えば、少し前に「石が書く」というロジェ・カイヨワさんの本を、このブログで取り上げた。こちらはその道の方には知られた本だったようで、突然ブログの来訪者が増えて驚いた。そういうところに焦点を当てると、石が好きというのはそれほど特殊な趣向ではないように思える。

 

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 ところで、現在私は転職活動中なのであるが、つい先日その面接で、「最近どんな本を読みましたか?」と聞かれた。正直に石についての本を読んでいると答えたところ、ツチノコでも見るような眼で見られてしまった。もしこれで転職に失敗したら、きっと石の所為である。

 

 とまあ、矢張りなかなかニッチなジャンルなのかなあなどと思いつつ、今回は徳井いつこさんの「夢みる石」である。本を手に取ったのは、ただ鉱物やら岩石やらの情報が載っているからというのではなく、その周辺の物語まで深掘りされているからと感じたからだ。これが面白くて、そこそこマニアックなのにするっと読めてしまった。

 

 途中、石を飲むという神話的なエピソードが出てくるのだけど、案外こんな感じなのかもしれないなどと思いつつ、勢いで書いている次第である。

 

 

  • あらすじ

なぜ人は、石に惹かれるのか?

宮沢賢治木内石亭ゲーテユングオキーフ、数々の神話伝承……。

石から生まれ、石に魅入られ、石に耽溺する人々の逸話を集めた、名著『ミステリーストーン』が新装復刊!

 

  • 書評

 あらすじにもある通り、この本はもともと『ミステリーストーン』として出版されたものが、装い新たに世に出されたという経緯を持つらしい。不勉強なことに、私は前身である『ミステリーストーン』を読んでいない。なので、それと今回のものを比較してどうこう、ということが出来ないのが歯がゆいところである。

 

 そんな訳で、書ける内容としては手元にある書物の内容に関してだけなのだけれど、一先ず真っ先に浮かんだのは、「石にはこんなにも様々な表情があるのか」という点である。

 石というのは、一見すると不愛想で、見て綺麗だとは思っても、それ以上の感想を思い浮かべるのが難しいように感じる。しかし世の石好きというのは侮れないもので、私なぞには思い付きようもない楽しみ方をする。いや、それは楽しむというような娯楽的な意味合いではなく、文字通りの真剣勝負の関係ではないかという感じさえもする。

 

 例えば、石っこ賢さんと呼ばれた宮沢賢治については有名だろう。宮沢賢治の作品には、ちょっと素人では浮かびそうもない鉱物的な比喩が唐突に現れたりする。それ以外にも、ゲーテニーチェユングオキーフと、様々な人たちと石との関りが詳細に描かれる。

 一例を挙げるなら、次のようなものがユニークだろう。石に腰を下ろして思索に耽るユングは、そこから精神世界的なモティーフとして石を扱い始め、様々な思想や錬金術的な神秘へとそれらを繋げていった。エルンストという画家はフロッタージュという手法で模様を写し取って石を芸術へと昇華させ、太古の薬師は石を砕いて漢方薬にしたという(一部の地域では現在も似たようなことをやっているらしいが)。世の神話には生や死や星々の象徴として石が現れ、民間療法ではムカデの毒を石が吸い出したりもするらしい。エトセトラ、エトセトラ。

 

 上記からも明らかだろうが、石はただ石好きたちの間で特別な存在だっただけでなく、広く人々の間で重要な物質だったのだ。ただし、当時の医学・科学水準で広く信じられていたことが、現在では通用しなくなってしまった。それは科学の進歩と言えば進歩であり、同時に残念と言えば残念な気もする。

 しかしこうして客観視してみると、その飽くなき味わいっぷりは驚嘆に値する。それは何だか、石という静的な物質に対して、人類が新しい魅力を発見しようと、あらん限りの努力を続けているかのようだ。

 

 そして現在、石に対する探究心はサイエンティフィックな視点によって支えられている。脱臭剤、本の紙、鉛筆の芯、チョーク。時計に使われている水晶や、コンピュータ内部のプラチナ、クレジットカードのシリコンチップ。その他、鉱物が由来となっているものを取り上げれば、枚挙に暇がないだろう。

 

 そんな中で、印象的だったのが「石に暮らす」の記述である。学術対象としての鉱物が、科学的組成にフォーカスしてしまい、古典的な意味での鉱物学を軽視する傾向にあるというのだ。例えば、「石に暮らす」にはこんな文章がある。

 

「水晶で学位をとった人に、きれいな水晶を見せて”これは何か知っている?”と聞いても、わからない。みんな見たことないんです。

(中略)

危機感があります。二十一世紀にはどうなってしまうのか。学者も年老い、マニアも年老い……。じっさい、鉱物愛好会は、どんどん高齢化しているんですよ。このままいくと鉱物学、地球科学をやる人がいなくなっちゃう」

 

 思えば、現在の生活で石に出会おうとすれば、ミネラルショップやらパワーストーンのお店やらを訪れなければ難しいだろう。道路はアスファルトで舗装され、公園から石は取り除かれた。幼い時分の私にとっても、石と言えばコンクリートの欠片だった気がする。

 

 だからこそ、ここらで一度立ち止まって、石本来の姿を思い返してみるべきなのかもしれない。数十年の人間の寿命に対して、石は途方もない時間をかけて成長する。その結晶を眼にしたとき、感想が綺麗だけでは少々もったいないだろう。

 そのとき耳を澄ませて聞こえるのは、石の声であるだけでなく、きっと歴史の声でもある筈なのだ。そうすれば石は、もっと雄弁に語り掛けてくれるに違いない。