羊を逃がすということ

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【書評】工場 | ちょっとしたいやらしさを彷徨う【小山田浩子】

 

 

 小山田浩子さんと言えば、数年前に「穴」芥川賞を取った方である。当時読んだ印象は、ちょっとした現実のいやらしさを書くのが上手な作家というものだった。ちょっとしたいやらしさ、というのは、具体的に言うと生きていく上で不可避の、それでいて目くじらを立てる程ではない軋轢のことである。残念ながら世の中にはこの手の理不尽が溢れている。

 

 例えば、お金の貸し借りについて。私はこんなやり取りが嫌いだ。「今月一万円貸してくれへん?」学生時代、よく母に言われた。「一万円もないわ」と拒否すると、母は決まって言うのだ。「いくらやったらあるん?」

 

 これがちょっとしたいやらしさである。この遣り取りの理不尽というのは、そもそも絶対に貸さなければならないという前提が、相手の中にあるというところだろう。その上でこちらの極大値を求めてくるところが、非常に不快である。小山田浩子さんの小説では、この手の理不尽が多く出てくる。

 

 正直なところを言うと、私は「穴」よりもより古典的な「いたちなく」の方が好きだった。あまりにそのイメージが強かったので、文庫化された「工場」を見たとき、ついつい手が伸びてしまった。「工場」と聞くと、私は岸政彦さんと柴崎友香さんの「大阪」と思い出す。

 

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 柴崎さんの文章の中で、昔は友人のおうちが何かの工場をやっていた、というものがあった。一階が金属加工やら何やらの工場で、二階がそのまま住居になっていると。その多くは時代の流れと共に潰れてしまい、かつてそこで何かしらのものづくりに従事していた方々は、コンビニやスーパーの店員になったり郵便局の配送をやったりしているのだろう。

 

 工場は思っているより身近にあるのかもしれない。或いは私たちは、既に巨大な工場の一部に囚われているのかもしれない。そんなことを連想する。

 

  • あらすじ

大河が南北を隔てる巨大工場は、ひとつの街に匹敵する規模をもち、環境に順応した固有動物さえ生息する。ここで牛山佳子は書類廃棄に励み、佳子の兄は雑多な書類に赤字を施し、古笛青年は屋上緑化に相応しいコケを探す。しかし、精励するほどに謎はきざす。この仕事はなぜ必要なのか……。緻密に描き出される職場に、夢想のような日常が浮かぶ表題作ほか2作。新潮新人賞織田作之助賞受賞。

 

  • 書評

 読み終えた感想は、まずカフカであるということだった。特に私が強く連想したのは、「変身」ではなく「」だった。工場という舞台と、仕事をテーマにした城の設定にシンパシーがあったのだろう。カフカの「城」では、ある雪の降る村に呼び出された測量士が、仕事を求めて城の外を延々と徘徊し続ける。どれだけ時間が経とうと、城の門は閉ざされたままだ。それは手続き的な不条理であり、ある種工場における不条理との相似形をなしている。

 

何でしたら別に屋上のことは忘れていただいても構わないんですよ。(中略)コケマップをお作りになったらどうです、工場のコケを網羅するだけでも、ことによると一生かかるかもわからない。屋上やら緑化やらは二の次でしょう

 

 上記は、屋上の緑化を担当する古笛が言われた台詞である。仕事の前段階で一生を終えるというのは、かなり極端な話だ。カフカの城は、仕事を剥奪された人間の居場所のなさが根底にあったように思う。しかしこの工場はその逆で、仕事の中での居場所のなさが連綿と続く。

 

 果たして、これをどう受け止めるべきなのだろうか。分業化され、個々の仕事の意味が曖昧になった近代化社会への批判という捉え方は出来るだろう。しかし私にはあまりしっくりこない。

 寧ろこれは、労働そのものへの批判と捉えるべきではないだろうか? 誰もが何かしらの仕事をしなければならない社会。しかし社会の本当に必要な仕事は既に席が埋まり、あとは本質的でない仕事のようなものを無為に行っているだけではないか。当人たちはそれを何となく知りながらも、肝心なことを曖昧にしたまま生き続ける。

 

 そうだとすれば、何とも残酷な話である。それはまるで、お前の人生には意味がないと、面と向かって言われているかのようだ。ラストシーンに含まれるある種の解放感は、そこに兆すものなのかもしれない。それは人間社会からの解放である。

 

 さて、本書には工場の他に「ディスカス」と「いこぼれのむし」という二作が含まれる。ディスカスは魚の名前である。友人に子どもが出来たというところから物語が始まる。どう見ても怪しい雰囲気の奥さんや、ちょっと上から目線の旦那さんが、どう見ても破綻の前触れにしか見えない。ぶつんと切り落としたような終わり方は、小山田カラーとでも言うべきもので、読者は知恵を絞ってその空白を埋める必要があるのだろう。

 

「いこぼれのむし」は芋虫(毛虫)の話である。ネット上でレビューを見ていると、この話に抵抗を感じる意見が沢山見られたのだが、私は本書の中で一番好きである。しかし抵抗を感じる理由も理解できる。この話の根底には、芋虫に対する生来的な恐怖があるのだろう。それと同時に、この話には職場という閉鎖された環境での、人間関係の機微が仔細に描かれる。その息苦しさと、はちきれんばかりに肥え太った芋虫の身体に対する不快感が、想像の中でリンクするようである。そしてそれは、櫛の触覚を突き出し、やがて目玉のような翼を広げるのである。

 

 はてさて。面白かったが、息苦しい話も多かった。次は気楽なエッセイでも読みたいところですね。