羊を逃がすということ

今日ある本が明日もあるように

【書評】樟の窓 | 日常のささやかなさざめき【大辻隆弘】

 

 

 初めに断っておくと、私は短歌の素人である。

 

 それを言えば小説だって素人なのだが、少なくともそちらは読んだ冊数がある程度の力になるのではと思っている。だが歌集ともなると、まともに読んだことがあるのは俵万智先生のサラダ記念日くらいではないだろうか。

 

 そんな私だが、Xにて短歌を詠んだりする。

x.com

 Xのような短い文章をポストするSNSと、相性が良いのではないかと思ったのだ。これがなかなか楽しく、自分なりに良いものが出来たと思うと、見せびらかす感覚で投稿したりする。その記事を過去にはてなブログさんに取り上げていただき、一時的に閲覧者数が伸びたこともあったりなかったり。

 

dokusyo-boyo.com

 

 と、まあ、せせこましい宣伝はこのくらいにしつつ、本日は大辻隆弘さんの「樟の窓」。ふらんす堂というところからの出版で、装丁と帯のマッチ具合が素晴らしく、思わず手に取った。

 

 確かこの本を買い求めたときは、歌集というものを読んでみようと思ったのだ。SNSで短歌をポストしているのに、歌集を読んだ経験がほとんどないというのは如何なものかと、勉強がてら探していた。そんな中、本書をぺらぺらと捲っていて、次のような歌を見付けた。

 

ここは私がゐる場所などではないのだと長く思ひて職を続け来つ

 

 はっとしたと言えばいいのだろうか。当時私は仕事をしながら転職活動の真っ最中で、自分の経歴を書き起こしながら、その場しのぎのようなキャリアビジョンにうつうつとしていた。己以外の人々は皆一様に明確な目的地を持っているようで、なんだかそんな彼らからはぐれてしまったような、そんな劣等感を抱いていた。

 

 そんな中で見付けた上記の歌に、励まされたのは言うまでもない。勿論、上記の歌は慰める為に作られたものではないのだろう。恐らくは作者の心からぽろっと零れた心情を、そっと正直に詠んだものではないだろうか。

 しかしだからこそ、その素朴な想いがすっと沁み込むようだった。「みんなそんなもんなのかもしれない」、なんていう風に、思わず肩から力が抜けたのだ。迷わず私はその歌集と共にレジへと向かっていた。

 

 さて、歌集とは言っても、本書は少々変わったものかもしれない。というのも、何かしらのテーマに合わせて詠まれたものではなく、一日一首日記のように詠まれたものがもとになっているからである。具体的には2021年の一年間で、その間、大辻先生はお勤め先を定年退職されている。先程取り上げた歌も、そんな場面で詠まれたものらしかった。

 

 日記形式ということだから、当然一年も続けていれば、体調が悪い日や劇的な出来事があった日も含まれる。反対に、何でもない日常をするりと生きる日もあったことあろう。以下のような歌が印象的だった。

 

ショッピングカートを連ね押してゆくひとの仕事の愉しきごとし

小間切れの豚を贖ふため肉色の光あかるき前に立ちたり

夏草を抜きをり何が悲しうて夢のなかにて庭にしやがみて

背をまげて足の指の爪を切る爪はさびしき音に弾けつ

転調をしてソプラノの声になるときに嗚咽はこみあげてきつ

 

 こうして見ていると、自分の好みを自覚せざるを得ない。日常から僅かにはみ出たバリのような感性を、丁寧に摘み取るような歌が好きなのだ。しっくりくる、という感覚が当て嵌まるだろう。大辻隆弘先生の歌にはそういうものが多くあるようで、読んだ後、自分の視点の粒度が下がり、静かで低い視座からものを見ているような錯覚に陥った。

 低い視座、なんていうと悪口に聞こえるかもしれないけれど、勿論そんなつもりはない。物事を俯瞰しなければ全景が見えないように、至近距離からでしか見えないものもあるのである。そう言う意味で、この歌集は肌で書かれているようだった。

 

 ちなみに、樟の窓という題は、大辻先生が退職後、新しく再雇用された学校からの景色に基づくのだそうだ。窓から覗く樟のように、短歌は日々の生活を切り取っている。生活の中では聞こえないその葉のさざめきも、ふと足を止めたとき、硝子越しの無音の木漏れ日として、まだらな影を足元に揺らすのである。