
「なぜ人は自分を責めてしまうのか」
信田さよ子さんの書かれた本書を買い求めたとき、私の念頭にあったのは前職での出来事だった。
前職を、私は人間関係が原因で辞めている。その詳細は正直あまり話したくないので、ここでは割愛させてほしいのだけれど、その上で私の中には幾らか自分を責める気持ちもあった。どうやったらそれを避けられるのか、そんな答えを求めて手を出したのが本書だった。
結論から言うと、本書はそうした事柄とは少しずれた問題を扱った書物だった。ここで言う「自分を責める」という文脈には、家族との依存関係において、それを拒絶したときに発生する自責感という主題が隠れている。中心となるのはAC(アダルトチルドレン)や母娘関係で、職場の人間関係というのは少し意味合いが異なる。
しかし、それはそれとして、まるで別件であるが親との関係も、私にはクリティカルな内容である。親子関係については、かつての伯父の病に関連して少し触れているので、もし興味がある方は読んでいただけると幸いだ。
私は両親と仲が悪い。思えば、私の抱える生き辛さ、というのも、ある程度は両親と上手く関係が築けなかったことに背景があるのかもしれない。
……と、こんな風に書いてしまうと、何だか問題を全て親の責任にしてしまっているようで、いい年をして何を言っているのだろうと情けなくなる。だがここで、あえて信田さよ子さんのACの定義を述べておこう。
現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めたひと
それは起こり得るものとしてそこにあるのだ。それを自覚することが、解放への旅路の始まりとなるのかもしれない。

- あらすじ
「すべて自分が悪い」というふうに自分の存在を否定することで、世界の合理性を獲得する。この感覚を、自責感といいます。臨床心理学では、自責の問題はほとんど扱われて来ませんでした。この本では当事者の言葉を辞書として、自責感だけでなく、母と娘、共依存、育児といったものにまつわる問題を考えていきます。口座の語り口を活かした、やさしい一冊です。
- 書評
はてさて、これは大変なことになった。私は親と仲が悪い。こういう、親子関係の本は、正直危険である。忘れていた思い出がどんどん溢れ出して来るし、忘れていた癖にそれらの描写は鮮血の如くビビッドである。何よりこの問題は、きっと私と両親、どちらが死ぬまで――いや、どちらかが死んでも解決しないというのが、何よりの厄介な点である。そういう意味で、私と両親は不可分な関係性であり、その意味合いは愛というより呪いに近い。
私の個人的な話で恐縮だが、私と両親の不和の前に、まずは両親の不和があった。父と母は、物心ついた頃から歪な関係を築いていた。父は横暴ですぐに怒鳴り、母のことを小間使いのように「おいっ」と呼んだ。母はそんな父に恐怖し、支配されていたのだと思う。母は精神的な安心材料として、我が子に頼るようになった。それが私自身の肌で感じるところだ。
母がどんな人だったかと言えば、時限表示のない爆弾みたいな人だった。話し掛けるとき機嫌が悪いとヒステリックに爆発する。私は段々と、両親との接触を避けるようになった。そして21になった年、大学での研究生活が忙しくなったというのを方便に、実家から逃げ出した。本書を読んでいて、私はその時期のことを何度も思い出した。
子どもにとって、親は圧倒的に強い権力を持っている。勿論、親は完璧にすべきなどと言うつもりもない。私の親にしたって、きっとそれぞれ必死で努力していたのだろう。だがそれとこれとは――母がどんどん怪しいサプリメントやセミナーに嵌っていき、父がますます無関心で横暴になり、私のアルバイト代が生活費として抜き取られたことは――きっと別問題なのだ。それでも、家を出た当初は、本書で紹介されるような自責感が強く付きまとった。
当時、母が繰り返し私に問い掛けた言葉がある。
「お父さんだけじゃなくて、お母さんのことも嫌いなの?」
そこに含意された嫌らしさを、私は振り切ることが出来なかった。それはきっと、母の中に本書で繰り返し述べられている母子の愛情のような理想があったからだろう。きっと彼女は、私に裏切られたと感じたに違いない。そして罪悪感を喚起することで、相手を引き留める作戦に出たのだ(と私は思っている)。
さて、本書にはそんな母子の関係についての、特効薬的なウルトラCが記載されている――訳ではない。寧ろ母子関係においてはあっけらかんで、さらっとこんな言葉が述べてある。
水を差すようで申し訳ないですけど、私は、母と娘の和解はほとんど無理じゃないかという意見なんですね。
しかし当然これで終わりではなく、続きがある。著者はここで、第三者を介入させたうえでの距離の取り方を強調する。母を俯瞰し、自分がどのような傷を負ったかを認め、適切に抱える為のプロセスだ。それは紋切型の自己肯定感という用語で処理されるのではなく、一人一人の個別的に用意された旅路のようなものと捉えることが出来るだろう。それは同時に、我々が無意識に求める模範解答的な家族の回復ではなく、自責からの解放を意味しているのである。
平易な文章でセンシティブな問題を扱いながら、上に引用した、どきりとする言葉を述べることもあり、不思議な痛快さがある。しかし読むときは少し気をつけなければならない。本書の文章は決して甘やかしで書かれている訳ではなく、特に親の目線から通読するには、自分にとって認めたくない部分にも眼を差し向ける必要があるからである。
私もいずれは親になるときが来るのかもしれないと思うと、フーコーの唱える「権力は状況の定義権である」という言葉が、重く圧し掛かるようである。

