羊を逃がすということ

今日ある本が明日もあるように

【書評】死の瞬間 人はなぜ好奇心を抱くのか | 誰も避けることの出来ない終端について【春日武彦】

 

 

「死をはじめて想う。それを青春という」

 

 そんなキャッチコピーを眼にしたことがある。確か山田風太郎さんの「人間臨終図鑑」の帯に記された言葉だったと思うが、未読かつ未購入なので記憶は曖昧である。それでも意識の端に引っ掛かるくらい、この言葉は印象的だった。自分の身を振り返ってみれば、確かに私が死について考え始めたのは中学くらいで、それは良くも悪くも青春という青臭い生々しさを伴っている。

 

 六歳の頃、祖父が亡くなった。この頃はまだまだ幼く、涙を流す祖母や母を真似て(或いは雰囲気に気圧されて)悲しい振りをしていただけのように思う。例えば葬儀の場で、骨だけになった祖父と対面したとき、私は積極的に箸で祖父の頭蓋を砕いたのではなかったか。それは死を悼んでのことでは勿論なく、子どもらしい好奇心から出た振る舞いだった。

 

死の瞬間」は春日武彦さんの書かれた新書である。春日さんは医者をされているそうで、死者に対する視線は落ち着いている。落ち着いていると言っても、決して冷淡という訳ではなく、そこには医学に身を置く方特有のプロフェッショナルな視点と、亡き人を悼む鎮魂のような視線が、適切な距離感となって表れているようである。

 

 そんな死に隣接した方の書かれた死の本と、表紙に繁茂する黒々とした樹木に惹かれ、この書物を購入した。それもまた、好奇心による動機だったのかもしれないけれど。

 

 

  • あらすじ

誰しも迎えるその刹那、人はどうなるのか?

無頓着に、記号のように訪れる「死」。

日常にありふれた事象なのに、なぜ私たちの心を掴んで離さないのか。

「死」に対して、崇高な気持ちと悪趣味な情動で揺れ動く、人間のふしぎな心の有りように迫る。カルチャーガイドとしても楽しめる一冊。

 

  • 書評

 この本を読んでいる間、私は自分の書いた伯父に関する文章を再び読みたくなった。伯父は、去年の12月に他界したのである。そのときのことを、私は衝動的に文章にしてブログに投稿していた。自分でもどうしてそんなことをしようと思ったのか分からないが、何かに突き動かされるような感覚だった。本書の中には死にゆく人を写真に収めようとする方が描かれていて、何となく他人事とは思えなくなった。

 

dokusyo-boyo.com

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「死」という題材を解釈する時、私はどうしてもその二面性に注目してしまう。それは、死が恐ろしいものであると同時に、ある種の救いとして成立しているということだ。私の祖父は胃癌を患い、結局それが原因で他界したが、その最期は壮絶だったと聞いている。血を吐き、「逝かせてくれ」と懇願したのだそうだ。その出来事は、死の持つ両極端な要素を端的に表すと言えるだろう。

 

 だがそれはあくまで死の性質というべきもので、善悪を説いている訳ではない。言うまでもなく、生物が死ぬのは自然の摂理で、それは善悪の俎上で解釈されるものではないし、ましてやその死についての考察に善悪の判断が付与されるというのもおかしな話である。しかしどうしても、死という題材はタブー視されがちな感を否めない。

 

 本書最大の特徴は、そのタブー視されがちな死の考察を、善悪という軸ではなく、『グロテスク』、『呪詛』、『根源的な不快感』という点から紐解いているところである。そこには死を忌避する感覚も、死が苦しみからの解放であるという現実も包括され、文化的な背景から死がどのように扱われていたかを詳らかにする。死後の世界像やぞっとするような不可逆性に触れ、果ては死に纏わる滑稽さにまで至ることとなる。

 

 死の滑稽さについて、思い出したことがあった。ルシア・ベルリンの小説で、ある癌を患った女性が、「もう私はロバを見ることさえ出来ない!」と嘆くシーンがあった。確か話の流れでロバが出てきたときに、不意に漏れた嘆きだったと思うが、これは滑稽と言えるだろう。多くの健康な女性は(恐らく男性も)、生きている間に積極的にロバを見たいと思わないに違いない。だが癌になってしまい、余命が近付いてくると、ロバに会えないことすら何よりの悲劇に思えてくるのである。

 

 ここまで読み進めると、我々は(少なくとも私は)死を誇大なものとして扱い過ぎているのではないかという気がする。体験し、それを他者に伝えることが出来ないからこそ、そこに意味を付与し、何らかの役割を与えようとする。しかし存外、彼岸に達するというのは湯船の縁を超えるようなもので、湯に深く身体を沈めるように、「あー」と息を吐いたら亡くなってしまうのかもしれない。血を吐くよりも、そちらの方が私にはよっぽど良いものに思えるのだ。

 

 尚、本書では死に纏わる書籍や映画からの引用が多数あり(100ワニまであるのだ!)、それは死生観や死後の世界に対するイマジネーションの働かせ方から、死に対する姿勢に至るまで、様々である。そういえば最近、誰かが書評で「死を便利に使い過ぎている」と書いているのを読んだ。ちらりと見掛けただけだから、誰が何に対して言っていたかは覚えていないが、確かにその通りかもしれない。

 死の無意味さを受け入れること。それもまた、一つの追悼である。