羊を逃がすということ

今日ある本が明日もあるように

【雑記】転職活動を終えたという話

 

 現在、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」を読んでいる。丁度上巻を読み終えたところだが、これがなかなか面白い。ゲーテは「ウェルテル」と「ファウスト」を読んだが、それらよりも好みかもしれない。しかしその感想は個別記事に譲るとして、今回は転職活動の話。

 

 転職活動が終わったのである。長い闘いだった。最近のブログ更新頻度が高いのも、主にそれが要因である。

 

 そもそも何故私が転職をしたかというと、経緯が少々複雑になる。私は某ドリアの美味しいレストランで正社員として働いていた。初めから正社員という訳ではなく、もともとはアルバイトだった。

 

 大学を卒業後、ヘルマン・ヘッセの名言「詩人になりたい、でなければ何者にもなりたくない」に倣い、私はかねてからの憧れであった作家になろうと社会の荒波へと踊り出た。勿論、救命胴着はなしである。

 私としては、五年くらい頑張れば作家になれるだろうと思っていた。何故なら私が書くものはスーパー面白い筈だから!(本当にそう思っていたのだ)。しかし五年後、私はアルバイトのバイトリーダー的な立ち回りであり、周囲では友人がちらほらと結婚を始めていた。私だけが取り残されていたのだ。

 

 恐るべき事態である。しかもコロナで収入が激減し、生きていくのもやっとだった。そんなときに蜘蛛の糸の如く垂らされたのが、中途採用への面接機会だった。私は飛びつき、正社員になった。まあそれも、二年しか続かなかったのだけれども。

 

 こちらも理由は簡単、仕事が嫌になったのだ。きっかけは私があるバイトの子と揉めたことだった。あるときから突然、そのアルバイトの子が露骨に私を避けるようになったのだ。陰口を叩いたり、無視をしたりという状態だった。原因は私のクルーに対する態度だったそうだが、本人から直接聞く機会がなかったので、はっきりとはしない。

 

 私なりになんとか関係修復できないかと取り組んでみたが、どうすることも出来なかった。謝罪や話し合いの場を作ったが拒まれ、虚言癖呼ばわりされる始末だった。こちらの忍耐力もそれに対応できなかった。それらの反発に細大漏らさずパーフェクトな対応が出来ていたかと問われれば、イエスとは言えないだろう。

 結局最後には完全にシフトを外されてしまい、私とそのバイトの子との関係は切れてしまった。私の技量不足と言えばそれまでで、反省する他ない。

 

 そんな中、ある日私は店内会議に召集された。店内会議とは、店舗に所属する社員とアルバイトが合同で行う小会議である。私は特に何も聞かされていなかったのだが、それもそのはずで、議題は「○○(私の名)の勤務姿勢について」だったのである。

 渦中のバイトの子はいなかったのだが、バイトと関係の深いパートの女性がその会議に出席した。構図としては仇討ちである。パートと他社員から五対一で一時間くらい延々と駄目だしを食らった。あることないこと散々言われ、何を言っても否定され、当事者でもない彼らに頭を下げるまで終わらなかった。

 

 そのときの上司の対応が適正だったかどうかは、もう考えたくない。それは過ぎ去った過去を水に流した云々ではなく、私自身が正しいと思っている価値観が、過去を理不尽に読み替えてしまうからだ。きっとフェアではないし、客観的に見てどうかは知る由もない。

 

 ただ一つ確かなことがある。私がその仕事を、心の底から嫌いになってしまったということ。それだけは動かし難い事実としてはっきりしている。

 本当に本当に、私は前職が大嫌いになってしまった。切っ掛けはやむを得ずだったかもしれないが、店舗が好きで、仕事が好きでなった正社員だった。その気持ちは嘘ではない。でももう嫌だった。

 上長に訴え、店舗を移動させてもらった。そのとき「心が弱すぎる」という有難いアドバイスを頂戴したが、もうどうでも良かった。辞めよう、そう思った。

 

 あの場面のことは今でも毎日のように思い出す。そこに居合わせた全員の連絡先はもう既にブロックしているし、今後会うことはないだろう。それでも私は彼らに対して拒絶感を拭えないし、前職と関連のあるレストランには、極力近寄らないようにしている。社員にならずに、アルバイトの時点で別業種を選んでおけば良かったのだ――それは私の人生におけるかなり大きな後悔である。

 

 

 そんな訳で、私はどうしても飲食業界から離れたかった。そもそも私がいた前職は、働いても何のスキルも身につかず、上司には詰められ、バイトには舐められ、サービス残業と遣り甲斐搾取で成り立つ、そういう仕事だった。

 実務面でスキルが身につき、残業に苦しめられることのない仕事を探そう――そう決心したのが、一昨年の八月である。ただしその時点で転職すると、ただでさえフリーター期間の長い私の経歴が更に汚れてしまう。せめて二年は続けよう。そうしてこの三月に退職し、改めて私はIT系のエンジニアを目指して転職活動を行っていたのである。

 

 IT系の転職と言えば、今やポートフォリオは必須である。ポートフォリオとはエンジニアが自身の技術を売り込む為のサンプルのようなもので、大体はwebアプリを作成して、それを名刺代わりに企業の扉を叩くことになる。

 プログラミング・スクール等を活用してそれを作成するケースが多いのだけれど、私は独学で行うことに決めた。突然のIT系転向に際し、企業側から継続力を疑われる可能性が考えられたからである。貯金を切り崩し、独学でアプリの完成まで漕ぎ着ければ、ある種の自走力の担保になると打算したのだ。

 

 結論から言うとそれが功を奏して、受託開発系の企業で職を得ることが出来た。晴れて九月から、私はwebエンジニアである。給料と休暇が前職より増え、反対に残業時間が減った。貯金は削れてしまったが、想定の範囲内である。きちんと勤めていれば、一年足らずで取り返すことが出来るだろう。

 

 とは言え、まだまだ帯を緩めるわけにはいかない。あくまで私は初心者で、未経験の職場である。とにかくまずは仕事を覚え、新しい職場の戦力になれるよう頑張りたい所存である。

 

 ちなみにこのタイミングでこんな文章を書いたのは、上記の転職活動を終えたことによって、ある種の溜飲を下げることが出来たからだった。果たしてどこで聞いたのだったか、「最大の復讐は幸福」というような言葉がある。私は根に持つタイプなので、漸く咽喉につっかえていたものが取れたような気分である。

 

 と、まあ、ここまで書いて掌を返すようで恐縮だが、そんなものは嘘だ。これを書いている今も、前職での出来事を思い出すと、指先が屈辱感で震え、胸の内側が嫌な感情でいっぱいになる。他責思考では成長しないと、世間ではよく言われている。きっとそうなのだろう。でも何でもかんでも自分の責任として引き受けてやれるほど、私は出来た人間ではないのだ。

 

 残念ながらこの話には、痛快なオチなどない。強いて言うならば、ささやかな教訓があるというだけに過ぎない。即ちそれは、不完全を理由に拒み続けていると、いずれ居場所を失ってしまうということである。いやはや、世知辛い世の中ですね。