羊を逃がすということ

あなたの為の本が、きっと見付かる

ブログタイトルを変えました

 

 業務連絡である。ブログタイトルを変更した。「羊を逃がすということ」という題で、これからも本の感想なりなんなりを続けていこうと思う。

 

 なんとなく村上春樹臭のするタイトルだが、勿論由来はある。実はかねてより、かっちょいいブログタイトルを探していたのだが、つい先日、念願かなって「読書亡羊」という四字熟語に行き会ったのだ。いわゆる故事成語で、「読書に熱中して大切な羊を逃がしてしまう」ことを言うのだそうだ。そのまま「読書亡羊」としても良かったのだけれど、同名のブログがごろごろと出て来たので、「羊を逃がすということ」とした。

 

 私は夏目漱石が好きだ。作品だけでなく、そのペンネームも冴えていると思う。漱石の本名は夏目金之助と言い、森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」なんかを読むと思いっきりその名前が出てくる。

 漱石という筆名は、「漱石枕流」という四字熟語に由来するらしい。「石で口を漱いで、流れを枕にする」という珍妙な表現で、その意味するところは「屁理屈を並べて言い逃れをすること」だという。

 

 洒脱で身軽なペンネームである。ブログタイトルも故事成語から取りたいと思った。だからこの新しいタイトルもそこそこ気に入っている。何より羊というのが牧歌的で良い。羊飼いの手から逃れた羊が牧草を食んでいるところを想像すると、なんだか横になってお昼寝でもしてみたくなる気分である(ちょっと言い表せないくらい幸せな光景に思えるのだ。羊飼いには悪いけれど)。

 

 ちなみにであるが、タイトルに添えられた「あなたの為の本が、きっと見つかる」という文言も、由来がない訳ではない。村上春樹F・スコット・フィッツジェラルドについて書いたエッセイの中で、「自分の為の本」という表現を使っていたのだ(うろ覚えだが、それに近しい文はあった筈だ)。無論、フィッツジェラルドも春樹の為にギャッツビーを書いた訳ではないだろうが、要するにそれくらい親密になれる本ということなのだろう。

 

 このブログがそういう本を見付ける為の一助となれば良いと思い、そう書いた。ところで先日、参考がてらに書評サイトを漁っていると、「HONZ - 読みたい本が、きっと見つかる!」というページを見付けた。お気づきだろうが、改めて書く。

 

読みたい本が、きっと見つかる!

 

 もろ被りである。こちらももしかすると、そのうち変えるかもしれない。

 

 話を戻すが、私はこの「私の為の本」という表現を好んでいる。しかし私自身にとっての「私の為の本」は何かと訊かれると、これは一口に答え切れない。恐れ多いように思えるし、一つに絞り込むことが出来ないのだ。

 

 優柔不断である。そして贅沢な話でもある。答えの出ない問いは、先延ばしにするに限る。今は逃した羊でも数えながら、優雅な午睡に勤しむとする。